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最高裁判所第二小法廷 平成7年(行ツ)181号 判決 1996年12月06日

滋賀県滋賀郡志賀町大字今宿字舟木三七二番地の一

上告人

株式会社明拓システム

右代表者代表取締役

岸和雄

右訴訟代理人弁護士

田倉整

内藤義三

同弁理士

田村公總

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 荒井寿光

右当事者間の東京高等裁判所平成六年(行ケ)第九九号審決取消請求事件について、同裁判所が平成七年七月二〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人田倉整、同内藤義三、同田村公總の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)

(平成七年(行ツ)第一八一号 上告人 株式会社明拓システム)

上告代理人田倉整、同内藤義三、同田村公總の上告理由

上告理由第一点

原判決には理由相互の食い違いがあり、かつその食い違いの点について合理的な説明をしていない違法がある.

一 本件で最大の争点は、引例の技術ではエッジライトバネルにおける主要目的である明るさの均一性について、全面的な均一性は得られないのに対して、本件発明では全面的な均一性が得られたと言う点であった(原審原告準備書面(8)1参照)。

原判決はこの点について、「引用例の第5図に記載の反射拡散体バターンとほぼ同様のものに比べて、明るさの均一性が優れており、後者(引用例第5図のもの)のものにおいては、多くの輝度ムラが存在していることが認められる。」と認定、判示している(原判決三八頁一一行)。

しかし原判決は、他方で「引用例記載の発明も明るさの均一性の確保を技術課題としていて、第5図記載のものも均一な輝度分布が得られるものであり、したがって、同図記載のものは当然上記作用効果を実現する構成を有していると考えられる」と認定、判示している(原判決三八頁二〇行、原判決三九頁一〇行も同じ)。

二 この両者の説示は、技術内容に立ち入るまでもなく、明白に矛盾した記載であることが明らかである。

つまり、前者では、本願発明は引例第5図に記載のものに比べ、明るさの均一性が優れており、引例のものは多くの輝度ムラが存在していることが認められるとし、後者では、引例第5図のものも均一な輝度分布が得られるとしているのである.

言うまでもなく、均一な輝度分布が得られるということは、輝度ムラがない、少なくともそれが無視できると言うことと同義語であって、「輝度ムラは多いが輝度分布は均一」と言うことは有り得ない。

俗に「治療は成功したが患者は死んだ」と言う言葉があるが、この「輝度ムラ」と「均一な輝度分布」とはそのような関係ではなく、「輝度ムラ」が存在するとは、「輝度分布」に「ムラ」が存在すること、すなわち「輝度分布」に「均一性」がないことであるので、全くの反対概念であり、原判決の右理由付は、それだけでも相矛循した理由を説示しているものである。

三 そして、原判決には、この両者の矛盾点について、それが矛盾ではないことを明する説示は全く存在しない.

もっとも、後者の説示の箇所には、その前後に「引用例記載の発明も明るさの均一性の確保を技術課題としていて」「したがって、同図(第5図)記載のものは当然上記作用効果を実現する構成を有している」と言う記載が付加されている。

しかしこの付加された記載は、その言わんとしたい趣旨を推測しても、それで実際には「輝度ムラ」のあった第5図の技術で「均一な輝度分布が得られる」ことを理解させるものではない。

本件で原告が主張しているのは、パソコン、フープロ等の用途の液晶ディスプレイに用いられるエッジライトパネル(裏から光源で照す方式ではなく、横から光源を与えることによって、パネルの厚さを薄くしようという方式)においては、薄くしながらもかつ明るさの均一性を確保したいと言うことはそれ自体相矛盾する技術課題であったため、ほとんどの技術者の共通課題であった.

したがって、この矛盾の解決を課題として多数の出願がなされていた状況があるにもかかわらず、実際には、それを実用上問題がないまでに改善できた例がなかったのに対し、本願において、それが実用上問題がないまでに改善できたのであるから、本願発明には特許性があると言うのが原告の主張の骨子であった(原審原告準備書面(8)の2と3)。

しかるに、原判決の右判示によると、引用例にも「明るさの均一性の確保を技術課題として」いるのだから、実際の実験結果は逆であっても、引用例「記載のものは当然上記作用効果を実現する構成を有している」筈に違いない、と言うのである。

しかし、引用例の発明者が解決したい「課題」としていたかどうかと言うことと、実際にその「課題」がどの程度解決されたかどうかは、全く別の問題である.

多くの技術者、それもトップ企業に属する多くの技術者が、その解決を目指して多数の出願をなしていたにもかかわらず、実際には「均一な輝度分布」と言う点では充分な技術は提供できなかったのである.

原判決は、現に前者のように「引例のものは多くの輝度ムラが存在している」ことを認めているのである.

にもかかわらず、単に引例も「課題」が同じだから、引例のものも「明るさの均一性確保」の「作用効果を実現する構成を有している」筈だと言うだけでは、実際にはどのような理由で、あった筈の「輝度ムラ」が解決されたのかは明らかにはならない.

四 原判決には、以上のとおり理由相互の食い違いがあり、かつその食い違いの点について合理的な説明をしていない違法がある.

上告理由第二点

原判決は、発明における容易推考性を考えるについて、その基準である作用効果の顕著性をその基準として正確に取入れていない点で、特許法第二九条二項の「容易に発明できた」の解釈に違法がある.

一 原判決は引用例についてこう述べている.

「引用例の第5図における横方向の仮想線群の間隔自体を基準とすれば、原告が主張するような不都合が生じるであろうが、引用例の開示技術として、同図が示していることは、拡散効果が所定のものとなるように、円形状のパターンの面積密度を各場所で変えるということであって、明るさの均一性を達成するために、仮想線群の縦横の配列を等間隔のものとするならば、円の直径もそれに応じたものとすることによって、原告が主張するような不都合が生じないようにすることは当然のこと」である。

(原判決三七頁一三行)

同様の記載は原判決三五頁2行に「引用例の第5図には、縦方向、すなわち光源から離れる方向に延びる各円の中心点を結んだ仮想線群を等間隔にするものが示されているのであるから、より均一な明るさを得るため、横方向、すなわち光源と平行に延びる方向の各円の中心点を結んだ仮想線群についても等間隔にすることによって、各円の位置関係を隣接相互に等間隔に維持し、均一な配置にすることは、当業者において容易に想到し得る」にも見られる.

また原判決は、

「本願発明におけるように網点の位置関係を隣接相互に等間隔に維持するようすることは当業者において容易に想到し得る程度のことであり、この構成により、より均一な明るさが得られることは予測し得る程度のものであることからすると、上記実験結果に基づいて、本願発明における明るさの均一性が顕著であると認めることはできない」(原判決三九頁四行)と述べている。

二 前二段では、本願発明の作用効果と対比すべき引用例の作用効果について、引用例に開示きれた技術そのものと比較しているのではなく、引用例のバリエーション範囲が広いことを理由に、引用例を本願発明にもっとも近づけた場合を想定している。

後段では、本願発明の構成は容易に想到し得ることを理由に、作用効果の顕著性を否定している.

三 ところで、発明が従来技術から容易に推考できるか否かを決する最も重要な基準は、作用効果の顕著性である。

これは特許庁の審査基準でも明示され(参考資料特許庁審査規準(以下審査規準と言う)一二頁、一五頁参照)、出願、審査の実務でも尊重されている基準であり、判例もこれを当然のこととしており(東京高裁昭和六三年一二月一三日判決、判例時報一三一一号、逆の場合として東京高裁平成二年八月三〇日判決無体集二二巻二号等々)、学説も同様である(吉藤概説一〇版一〇〇頁)。

これはどういうことかと言えば、推考が「容易である」「容易ではない」と言っても、あまりにも漠然とした基準であり、それだけでは、見る人によって差が出ることが避けられない(前記吉藤九九頁外多数).

特に、「コロンブスの卵」の事例のように、結果が分ってしまってからの後知恵では、本来容易ではなかったものまで、容易と判断される危険性が高い(審査規準一八頁2・9はそのことを指摘している)。

そこで、それを補強する、より客観的な基準として、作用効果の顕著性ということを、容易推考の判断基準に取入れたのである.

すなわち、顕著な作用効果があるものについては、もし当業者に容易に推考できるものであれば、当然それ以前に当業者の誰かがその発明考案していたであろうから、作用効果が顕著であるにもかかわらず、当業者の誰もそれを発明考案していなかったとすれば、それは実は当業者にとって容易ではなかったことを意味すると言う考え方である。

作用効果が顕著でなければ、当業者に容易に推考できるものであっても、当業者はわざわざ発明考案しようと努力しないのであるから、正にこの作用効果の顕著性が容易推考か否かを判断する最も重要な前提基礎事実となるのである(前記吉藤一〇〇頁)。

四 ところが原判決はこの法理を正確に理解していないのか、右後段のように、本願発明は「容易に想到できる」から「本願発明における明るさの均一性が顕著」とは言えないとして、全く逆向きの手法で判断をしている.

これでは、アリバイがあるから真犯人ではない、アリバイがないから真犯人であると言う議論を、真犯人だからアリバイは信用できない、真犯人ではないからアリバイは信用できると議論するに等しいものである。

五 原判決はさらにその上に、右前二段のように引例の技術を解釈するにあたって、引例の技術そのものではなく、引例の技術を最も本願発明に引き寄せた形で対比している.

これも、今述べた作用効果の顕著性の意味を無視したものである。

すなわち、引例の技術において、その範囲が抽象的で巾広い場合、特にそのバリエーションの態様について積極的な形で巾を広げているのではなく、消極的な形で巾を広げている場合(A以外にBもCもDも可能であると言うように説明されているのではなく、Aには限定されず、優れたものならばA以外何でも良いと言うように記載されている場合)、作用効果を対比すべきは、引例に示された技術自体とであって、引例から容易に推考できる範囲を想定してそれと比較すべきではない。

これも、右に述べた、作用効果が顕著か否かによらて容易推考を判断すべきで、容易推考か否かによって、作用効果の顕著性を判断すべきではないということとおなじ問題である.

抽象的、形式的には幅広い公知技術が存在する場合、その技術の範囲に属してはいても、その幅広い技術一般に比して作用効果が顕著なものは、選択発明として、発明性、特許性が認められている.

例示すれば、具体的には80度近傍で加熱すれば収量が良いと記載され、80度以外の加熱も可能と記載された公知発明に対して、40度近傍で加熱すれば80度近傍で加熱するよりもさらに何倍も収量が良いという顕著な作用効果があることを発見した場合、通常それは選択発明として成立する。

これには異論は見当たらない(前掲吉藤一〇九頁、審査基準一七頁、「殺虫剤」についての東京高裁昭和三八年一〇月三一日判決、審決取消集昭和三八年-三九年外判例多数)。

この場合、公知技術は80度以外でも良いと記載されているのだから、80度と比較するのではなく、公知技術に形式上含まれる40度とも作用効果を比較すべきとしたのでは、選択発明と言うものはおよそ認められなくなってしまう。

この問題は、80度が例示されている中から40度ならさらに良いという推測が容易かどうがを問題にしているのである.

それが容易かどうかを判断する基準こそ、作用効果の顕著性であって、容易推考だから作用効果は顕著ではないとしたのでは、作用効果の顕著性を問う意味がないのである。

前述したように、公知技術において、収量増加を「課題」として80度を選んだと言うことは、もし40度がさらに顕著に良いことが容易に推考できるものであれば、当然その時点で当業者は40度についても発明をしていた筈だということである.

にもかかわらず、そのような発明が存在しなかったということは、客観的には容易ではなかったと言うことに他ならないのである.注

注 なお、ここでこれと似て非なる「予測できる作用効果」の場合は少々作用効果に優れたものがあっても、除外されるということと本件との違いも説明しておきたい.

例えば一般的な素材の選択の場合において、引用例の機器が素材において鉄を用いているところを、対象発明が素材にステンレスを用いたに過ぎない場合は、対象発明が引用例よりも、錆にくいという効果が顕著であっても、予測しがたい顕著な作用効果とは言えないであろう.

このようを場合は、当業者はステンレスにすれば錆にくいことは知っていても、鉄の方が安価でかつ実用上その程度で十分と考えてあえてステンレスは使っていなかっただけと考えられる.

これは異質な効果の場合であるが同質な効果の場合として、馬力を上げることを目的としたエンジンの改良発明において、引用例が一〇〇CCで一〇馬力を挙げるとしているところへ、容量を五〇〇CCに変えて五〇馬力出せるようにしても、確かに馬力自体は前者より五倍になったかも知れないが、容量あたりの馬力に顕著な違いがなければ、予測しがたい顕著な作用効果とは言えない.

これに対して、もし一〇CCにすれば五馬力出せるとか、五〇〇CCにすれば五〇〇馬力出せるということを発見した場合には、引例と共通する構造ではあっても、容量あたりの馬力に顕著な違いがあると言う点で予測できる効果とは言えまい.

本件引例は、特にその5図は、上下に等間隔であるが、左右に円形状の反射部材を円を連接させるように配置し、その円の大小によって左右方向の明るさの均一性を改善したのに対して、本願発明は、円形の反射部材を上下左右等間隔の網点状に配置し、円の大小とその配置によって、面全体に均一な明るさを確保することに成功したものである.

このことから、抽象的には、引例においても円の配置をより工夫すれば、なお一層の均一性の改善をなすことが可能と言う程度の予測ができたとしても、抽象的には考えられる配置方法は無限にあり、どのように配置を変更すればどこがどのように改善されるかは、実際に実験研究してみなければ分からない事柄である。

例えば乱数表のようにアトランダムに配置を変えた方が良いのか、引例とは逆に左右に等間隔で、上下に円形状の反射部材を円を連接させるように配置した方が良いのか、中心から放射状に円を配置した方が良いのか、X字型にクロスさせた方が良いのか、波のようにうねらせた方が良いのか、はたまた、ある程度一カ所に集中させた方が良いのか、引例の記載からは、引例の配置をどのように変更すれば引例より良くなるかは一切示唆するものはない.

半導体の回路の配置自体が法で保護されているように(「半導体集積回路の回路配置に関する法律」は、回路自体は全く同一でもその配置の工夫自体に権利を与えているが(同法第二条一項二号)、これは二次元、三次元に配置する配置方法については、あまりにも無限のバリエーションがあり工夫が必要なことから、法で保護することになったのである.)、二次元の面における、多数の円の配置方法と言うのは適当な順番で実験を数回繰り返せば自然に到達できると言う性質のものではない。

本件では、結果的には、上下左右等間隔の網点が良いと言うことになったものであり、一見すると極めて素直な発想のように見られるかもしれないが、これこそ正に「コロンブスの卵」であって、むしろその難しさを知っている当業者は、もっと複雑な配置にしなければ、引例のものをさらに改良することは不可能と考えるのが通常である.

すなわち、引例の円の配置は、上下には等間隔でありながら、左右には円相互が隣接するように配置しているものであるので、本願発明の上下左右等間隔に比べればむしろ明らかに複雑な配置になっている.

このように複雑にすることによって、本願発明より輝度の均一性が大幅に劣っていると言うことは、もし、この配置を上下左右等間隔にすればさらに均一性がそれも大幅に改善されると容易に推測できるものであれば、引例の発明者はむしろそれを、少なくともその一例としてそれを採用した筈である.

「課題が既知であるのに、長期間その解決がなされていなかったことは進歩性の存在を証明する間接事実となる」とするのが、松本弁護士の意見(ジュリスト特許判例百選第二版)であるが、それは正に右のような事実を指しているのである。

作用効果の顕著性を規準に容易か否かを判断すべきで、容易であるから作用効果は顕著ではないと言う判断手法では、右の疑問に答えられないのである.

六 しかるに原判決は右前二段で判示しているように、「引用例・・自体を基準とすれば、原告が主張するような不都合が生じるであろうが」、引用例はそれに限定されるとは言っていないから、「拡散効果が所定のものとなるように、円形状のパターンの面積密度を各場所で変えるということ」だから「明るさの均一性を達成するために、円の直径もそれに応じたものとすること」は「当然のこと」としているのである。

これでは、円形の配置を引例の大小連結型と異なり、等間隔配置型に変えたことにより、「輝度ムラ」をなくしたと言う本願発明の作用効果の顕著性を判断する前に、引例の大小連結型を等間隔配置型に変えることは容易だから、その変えたものと作用効果を比較せよと言っているので、「容易推考」と「作用効果の顕著性」の解釈について、完全に逆立ちして解釈しているのである.

上告理由第三点

原判決は、本願発明の作用効果と対比すべき引用例の作用効果について、証拠に基づかずに唯一の証拠と反対の事実を認定している違法がある。

一 原判決は、上告理由第一点に前記したように、引用例にも本願発明と同様の作用効果がある旨判示、認定している。

しかしながら、引用例の技術について、実際に「第5図記載のものも均一な輝度分布が得られる」かどうかについての唯一の証拠は上告人提出の甲第八号証のみである。

原判決は、結果においてこの唯一の証拠を排除して、「第5図記載のものも均一な輝度分布が得られる」と判断しているものであるが、そこにはいかなる証拠によるものかは一切記載されていない.

記載されていないのも当然で、その点に関する証拠は甲第八号証しか存在しないのであり、反対証拠を上げることができないからである.

二 ところで、証拠の評価は裁判官の自由心証によるものであるから、ある証拠があっても、その証拠どおりに認定しなければならないものではなく、反対証拠をあげて、逆の事実を認定するのも自由であろう。

しかしながら、それは反対証拠があるからであって、反対証拠が一切存在しないのに、その点についての唯一の証拠を排斥し、それと逆の事実を認定することは、原則として許されず、そのような認定は経験則違反(理由不備)として、上告理由となるとされている(大審院大正一一四月二八日判決法律新聞二〇一四号、大審院大正一一年九月二日判決法律新聞二〇三三号)。

特にこのことは、挙証責任の問題とも密接な関係を有している。

原告の甲第八号証の実験結果だけでは、引例の発明がどのような作用効果を有しているかの証拠としては充分ではない、と原判決が認定することは、あるいは自由心証主義の結果として考えられるかも知れない。

すなわち、立証責任を負う側が提出した証拠の証明力が不十分であれば、唯一の証拠であっても、それだけでは立証責任を尽くしたことにはならないからであり、多くの判決が証拠を排斥した理由をいちいち示す必要はないとするのは、この趣旨である.

しかし、その場合は、引例の発明の作用効果の立証が不十分と言うだけであり、本件の場合は、引例の発明に本願発明と同様な作用効果があることが確認されて初めて拒絶の審決が維持される関係にある(通説、「容易に発明できた」ことが拒絶の要件であり、「容易に発明できなかった」ことが特許要件ではないからである。そして、公知技術の効果が不明であれば、容易かどうかは判断できないから、「容易に発明できた」ことにはならない.)。

上告理由第二点で説明したように、引例には、輝度の不均一性、輝度ムラとして10デシベル(三・一六倍)以内であると言う記載があり、「以内」であるから、もう少し低い数値も予想できるとしても、一%前後の均一性は予想されず、引例でそのような均一性が得られるかどうかについては全く記載を欠いている.

引例の発明に本願発明と同様な作用効果があることが不明であれば、本願発明の作用効果の顕著性は否定されず、したがって、容易推考性も否定される関係にある。

だからこそ、原判決は、甲第八号証の実験結果だけでは不十分とするのではなく、逆に、「第5図記載のものも均一な輝度分布が得られる」旨積極的に判示しているものであるが、右のようにこれをささえる証拠は一切存在しないのである。

注 特許庁の審決に対する審決取消訴訟においては、特許庁の審判官から出向している裁判所調査官が審理に協力している.

しかしながら、もし担当調査官が、「第5図記載のものも同様な均一な輝度分布が得られる」旨の意見を提出していたとしても、それは証人調などにより、法廷で取り調べられた事実ではないので、判決を根拠付けるものではないことは言うまでもない.もちろん技術的にも誤りである.

三 判例は、唯一の証拠の取り調べの可否について、原則としてこれを取り調べないのは違法としながらも、他の証拠によって十分に事実が認定できる場合には、それを弾劾する証拠については取り調べなくとも違法ではない(大審院明治三九一〇月九日民録一二輯一一八〇頁)、としていることからすれば、その争点に関する、唯一の証拠を排斥し、積極的に逆の事実を認定しながら、一切証拠を示さない原判決は、その点で経験則に違反した違法があると言わざるを得ない(大審院昭和一二一二月二八日判決、判決全集五輯二号、最高裁昭和二三年四月一三日第三小法廷判決民集二巻四号七一頁).

なお、付言するに、引例には「均一な輝度分布が得られる」(甲第4号証8欄一二行)と言う記載はある。

しかしながら、その内容をさらに確認すると、その第3図A、B、C、特にCの図示と照らせ合わせると、輝度が均一なのは光の進行方向においてであって、それと垂直方向には一切説明されていないことが引例自体から明白である(同号証同欄八行).

原判決も、このことについては原告の指摘に応じ、被告の主張は採用せず、「均一な輝度分布が得られる」ことの根拠を右文言には求めてはいない。

実際、その進行方向の輝度分布の程度にしても、「この実施例における輝度分布は10デシベル(一〇デシベルは一〇の平方根であるので、一対約三・一六倍の比率である)の変化内に充分収まっている」(同号証同欄一九行)と言うもので、本願発明の甲第八号証の結果が一・〇一倍(デシベルに換算すれば約〇・一デシベルで引例実施例の一〇〇分の一)以下に収まっているのと比較すれば、桁違い、否二桁、三桁の違いの差があるのである.

むしろ、引例と甲第八号証を対比すれば、引例においては輝度ムラが大きいという事実は、引例自体によっても補強されており、輝度ムラが右のようにゼロに近くできる効果があるか否かについては、引例はむしろ否定的で、引例自体の証明力の問題ではない。

上告理由第四点

一 原判決は、本願発明のものは設計も印刷も容易であるとする主張に対して、

1 本願明細書に上記主張の趣旨に沿う記載はない、と言う理由と、

2 引用例記載のものに比較して格別優れているとは認められない、という理由でこの主張を退けている。(原判決三九頁一八行)

しかしながら、1の点については、当業者に発明の構成が明らかにされ、その構成自体から当然理解できる作用効果については、明細書にわざわざ記載しなくともそれを読む当業者は当然そう判断できる訳であるから、必ずしも明細書に記載することは必要ではないとするのが、判例の立場であり(東京高裁昭和五五年一二月二二日判決、審決取消集昭和五五年)、審査規準一六頁も同趣旨である。

そして、本願発明は上下左右に等間隔に大小の円形を配置した網点パターンであるから、同じく上下左右に等間隔に大小の円形を配置し、その大小で陰影をつける写真印刷機器が用いることができることは、当業者なら当然理解しえる自明の作用効果である。

むしろ、写真の新聞、雑誌、その他書籍への印刷には、上下左右に等間隔に大小の円形を配置し、その大小で陰影をつける技術であり、そのように出来る機器が使用されていることは、当業者でない一般国民でも、だいたいは知っている事柄である.

つまり、民事訴訟法上も公知の事実である.

いわんや、本願明細書を読んだ当業者が、そのこと、つまり写真の印刷に使う機器が設計、印刷に使えると気付かない筈はない。

(なお、そのように使えることが明記されたパンフレットも広く流通していたことは、甲第九号証で立証済みである.)

このように、当業者に自明な作用効果であるにもかかわらず、原判決は右1のように、本願明細書に記載がないと言う理由を上げたものであって、これは発明の作用効果に対する解釈として誤った判断である。

二 次に2の引用例記載のものに比較して格別優れているとは認められないとの点であるが、引用例は原判決摘示のように「各円の中心点を縦横に結んだ仮想線群のうち、光源から離れる方向に延びる仮想線群は等間隔に並んでおり、光源と平行に延びる方向の仮想線群は円の径が拡大するに伴い次第にその間隔が広がっていく」(原判決二六頁一六行)であり、上下左右に等間隔に大小の円形を配置したものではないので、前記写真印刷に用いた機器は利用できないことも自明である.

原判決が、格別優れたものとは認められないと言うのは、前記甲第九号証の記載すら無視して、証拠によらず、引例のものにも前記写真印刷の機器が利用できると誤認したか、あるいは、そのような作用効果の違いがあることは認めつつも、「格別」なものではない、つまり作用効果として無視できる程度の違いであろうと「評価」したかのいずれかある。

前者であれば、右に述べたようにその誤りは明白である.

後者であれば、理由不備と言わざるを得ない.

すなわち、一定の作用効果の違いがあり、本願発明に優れた作用効果が認められる以上、にもかかわらず、その作用効果が「格別」なものでないと言うためには、その作用効果がその技術にとって持つ意義は少ない理由か、その作用効果発揮のため逆の欠点が出るなどの事実が証明、判断される必要があるところ、原判決はその点についてはまったく触れていない。

これでは、本願発明が引用例に比し、設計も印刷も容易であるとの作用効果がなぜ特許性にあたって考慮されなかったのか、全く理解できないのである。

三 なお、これに関して本願発明が業界で高く評価され、その製品が経済的にも成功をおさめた点について、原判決は「商業的成功は、・種々の非技術的要素との結合により達成されるから、商業的成功を作用効果の顕著性を根拠づけるものとして取り扱うことは、原則として適切ではない」として、これを無視している.

たしかに、製品に用いられた技術的優劣とは別の要素、特に企業の力、宣伝力等により、ある製品が大量に販売されるということがあることは否定できない.

しかし、注意いただきたのは、その理を示した最高裁昭和五〇年四月一八日判決(特許と企業七九号)の事案は、電気こたつ、いわゆる赤外線こたつの事案であり、出願人は松下電器産業という我国屈指の大企業であった.

当然需要者も一般消費者であり、技術要素よりも宣伝効果、デザインの良否、販売力等が左右してもおかしくない事案であった.

これに対し、本願発明は液晶等の用のエッジライトパネルであり、需要者はパソコン、ワープロ等大手電子機器メーカであり、技術的に従前のものより優れていなければ購入される可能性は少ないものであり、他方出願人は設立されたばかりの、当時の資本金三三〇〇万円、従業員十数人の全く名もない会社で、業界にも全く知られていなかった企業である.

企業力、宣伝力、販売力はもちろん、デザインの云々は全く問題にならない状況である.

しかも、新規なアイデア商品が需要者のニーズに合って良く売れたと言うのとは異なり、同種のエッジライト自体は右のような大手電子機器メーカが各社開発販売していたものである.

このような状況で、出願人のような名も無き小企業が従前のものを技術的に改良した製品を発表したところ、同じくその開発を研究している大手電子機器メーカに爆発的に売れるようになったと言うのであるから、これは従前の輝度の均一性不十分が本願発明により実用上十分に改善されたことによる効果と見るのが最も素直な考え方であろう.

前記審査規準も、「商業的成功は、販売技術や宣伝等、それ以外の要因によるものでない」ときは進歩性(発明が容易出なかったこと)の存在を肯定的に推認するのに役立つ事実として参酌するとしているのは、この趣旨である(前記松本も同旨、東京高裁昭和三七年九月一八日判決も、需要者が紡績会社であることを理由に認めている)。

前記上告理由第二点で述べたように、引例には他のパターンも可能であることは記載されていてもどのようなパターンならより良いかの示唆を全く欠いていた事実と、この商業的成功の事実のその状況を考え合わせれば、原判決のように、原則として商業的成功は容易推考を否定する根拠とはなり得ないとの判断が、いかに特許法第二九条第二項の解釈を誤った上での判断であることは明らかであろう。

以上

(参考資料省略)

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